ボランティア活動の難しさ
                                                                                                       09.Mar.2015 金子一星
貧しいネパールでは多くの国のボランティアが活動していますが、多民族国家で複雑な宗教やカーストに対する理解不足から思わぬトラブルが発生する例が少なくなくありません。

以前、紛争地域で日本人ボランティアが事件に巻き込まれ、日本のマスコミが「
その国の為に活動しているボランティアに危害を加えるとは・・・」と報道しましたが、いかにも日本的な勘違い記事でした。
途中ですが、ボランティアの視線からIS国の人質事件について一言〜テロの根底にある貧困と差別
海外ボランティアで貧困に接っし、貧富の差や差別が犯罪やテロを引き起こす実態に直面された人もいると思います。

アフガニスタンで活動されているボランティアの先達も、テレビ番組の中で「地球温暖化で水が枯れ畑が出来なくなった農民が、都市で裕福に暮らし何もしない政府に怒りタリバンに入った。しかし、灌漑事業で畑に水が戻ったら帰って来た。彼らは農民なのです」(要約ですみません)と語っていました。

ネパールでもかつて貧しい農民がマオイスト(毛沢東主義者)となり、貧困と差別からの解放を叫んで山岳部でテロ活動していました。
当時、政府軍の厳しいチェックを受けて山岳部に入るとマオイストが村人の勧誘をしていて、若い女性兵士に「ネパールの次は日本の貧しい人達を解放してあげます。」と言われました。

今、そのマオイストがネパールの政権を握り近代化に取り組んでいますが、皮肉なことに豊かになるにつれて貧富の差は逆に広がり、国中で不満を訴えるバンダ(交通封鎖やデモなど)が起こっています。
軍警察が要所で警戒に当たる姿を見ると、今後、自治を要求する部族紛争が新たなテロに発展するかもしれません。

世界中で貧富の差と差別は広がる一方なので、テロの封じ込めなどとても無理ではないかと思うのですが、仮に貧困と差別を武力で封じ込めたとすれば恐ろしい社会です。

テロが起こる度にマスコミに登場する評論家諸氏は、政府に気兼ねしているのか或いはテロの理解者と見られることを警戒しているのか、まるで報道協定があるかのように背景にある貧困と差別を語りません。

使命感か功名心か分かりませんが、戦場カメラマン等と言われ危険を冒してテロや戦争の悲惨さを世界に伝えると言う人達もインパクトのある映像を追い求めて背景を報道しないので、返って真実の姿が見えなくなるような気がします。
例えば、ベトナム戦争の時、まるで悲惨さを競う様な報道をアメリカ軍の陰から送り続けた人達は、戦後行われた大虐殺には沈黙しました。
真実と言っても偏った報道は返って危険ではないかと思います。
ネパールでも貧困の悲惨さを写したいと言うカメラマンに何人か出会いましたが、彼らに共通するのはインパクトのある写真を撮りたいと言う功名心で、背景にある差別より目の前の映像を優先しキャンデーや小銭を撒いてやらせの写真を撮っていました。
言論や報道の自由をテロに結び付けて議論するのは問題のすり替えですし、多くの人に迷惑を掛けてまで報道する価値のある取材など、功名心が邪魔をして出来ないのではないかと思います。

NHKのアナウンサーが、「テロに対し日本は国際社会の一員として・・・」と発言していましたが、国際社会という意味不明(少なくても私の国語辞典には無い単語です)の言葉は国連の加盟国と言う意味でしょうか、それともテロを封じ込める側ということなのでしょうか?
国連はテロ組織に武器を売りつけたり紛争に介入する常任理事国が拒否権を発動するので重要な事は何も決められず、役に立たない非難決議を繰り返す時代遅れの組織ですし、テロを封じ込める側と言うのなら日本だけ安全地帯と願うのは身勝手です。

日本政府は人道支援を強調していますが、海外ボランティアに係った人なら援助で儲かるのは支援物資を納品する日本企業と地元の資本家で、役人は当然のごとく横流しや賄賂にたかり、本当に被災者に渡るのは驚くほど僅かという現実を見られたと思います。
かつて中東支援で大金を出した日本がそれほど感謝されていないと恨みがましい報道がなされましたが、たかりや横流しで消えた支援が感謝されるはずがありませんし、それを承知でひたすらお金をばら撒くしかない日本の外交は政治家同士の駆け引きで、その国の国民にすれば期待外れでしょう。

テロ組織に人道支援などという建前や国際社会(?)の理屈は通じませんし、「敵を作らない外交・・・」等とかなり勘違いの集会まで開かれる日本は世界中で環境を破壊し、その国の富裕層に投資する事で貧富の差を助長しています。
海外で暴動が起こり日系企業が狙われるのは貧困層の恨みを買っているからで、利益だけ得てリスクを避けようなど虫のいい話は通りません。

テロの無い世界は貧富と差別を解消する事でしか実現できないことをボランティアで実感するのですが、世界は暴力の応酬の道を進んでいく様で子供たちの将来が心配です。

最近のテレビ番組で女優さんがネパールの寺を回り、はだしのヒンズー教徒の中に土足で入った挙句、ネパール人は
貧しいから信心深いというような見当違いのコメントをしていましたが、これが今の日本人の平均的な宗教観レベルで、こんな人がボランティアに参加しても軽蔑されるだけでしょう。

日本人はボランティアなら無条件に歓迎されると思っていますが、日本人のボランティアがネパールでそのまま理解されると思うこと自体が勘違いです。

法律上はネパールで活動する国際NGOは年間10万ドル以上の資金を提供し、地元のカウンター・パートナーと共同で活動しなければならず、提供する資金は全て銀行口座を公開し定期的にSWC(ネパール政府社会福祉評議会)の監査を受けなければなりません。
国際NGOが提供する資産や事業収益は全て地元NGOのものになります。
ノンワーキングビザですからサラリーは無しで、必要経費以外の金銭を貰うとビザ取り消し国外退去です。
つまり、ネパール政府に認められたボランティアが出来るのは金銭的に恵まれた人か聖職関係者などのごく限られた人達だけです。

水路の整備や小型発電所の建設等、大型のボランティアは政府のインフラ整備に役立つので一応歓迎ですが、それ以外の観光ビザや就学ビザで入国し個人的に行うものや、最近流行の観光ツアーと変わらない体験型ボランティア等は、ネパール政府にすればボランティアどころか滞在目的に反する違法行為です。

アンナプルナやクーンブの小学校に学用品を届けようとすると、その都度、国立公園入域料とトレッキング許可証が必要です。
学用品を届けるだけなのに何でトレッキング許可証がいるのかと苦情を申し立てても、相手にされません。

その根底には
カースト制があります。

法律的には否定されていますが国民の8割はヒンズー教徒なので、生活の中にカーストが敢然と生きていますし、
ヒンズー教徒以外でも実は差別があります

ヒンズー教や仏教は、元々土着信仰だった輪廻転生(但し、仏教誕生の際にブッダ本人は輪廻を説かなかったと言う説が有力です〜仏教徒なので一言)の考えを採用しています。

ヒンズー教徒にとって現世のカーストは前世の報いです。

彼らにとっては、前世の徳が足りなくて貧民に生まれたローカーストに外国人が自分の功徳を積む為に施しをするのは勝手だが、カーストを否定するようなボランティアは神の意志に反するのです。

製造業などはローカーストの仕事が多いので、
技術支援ボランティアに行ったエンジニアが、上級カーストの役人から見下されると言っていましたが、そんな役人に事故が起きた時「・・・ネパールの為にボランティアをしていた」等と言っても相手にされません。

日本人は、ボランティアは善意の行為だから相手も裏切らないと勝手に思い込んでいて、
簡単に騙されます。

寄付した援助物資が無くなったりバザールで売られていたなどはまだかわいい方で、学校建設の資金を援助したらホテルになっていたなどという日本では考えられないような事が起こります。

このような事例で訴訟に持ち込もうとした例も有ったそうですが、欧米の影響を受け日本以上の契約社会のネパールで、ボランティアだから悪用されないとの甘い思い込みから契約書も作らず口約束で資金を出した日本人が訴えたところで、法律的にも勝負にならず(部族の力関係や賄賂が重要な場合も多いのですが)結局泣き寝入りです。

ネパールでボランティア活動をするなら(他の国でも同じだと思いますが)、先ず現地の制度や宗教等を理解する事から始めるべきでしょう。

ネパール人から感謝されることを期待せず、あくまでも自己満足で納得できる範囲の活動なら失望する事も無いかもしれません。

なお、地方の貧しい子供達の為に学校を建設したり奨学金を支給するからと支援を呼びかける広告を目にしますが、寄付をするときには良く実態を確認する事をお勧めします。
貧しく学校に行けない子供は実は田舎より圧倒的に都市部に多いのですが、学校を建設しても奨学金を出してもそんな貧しい子供が学校に来ることはありません。
皮肉なことにネパールは今大変な教育ブームで国中に学校が乱立しています(詳しくは下の「番外」を読んでください)が、貧しい子供との教育格差は広がる一方です。

問題の根本は、施設やお金で解決できないカーストに有るからで、学校建設や奨学金では本当に貧しい子供を学校に来させることはできません。
本当に頭が下がるような活動をしている人もいますが、貧しい子供たちをダシに金儲けを目論む詐欺師まがいの人や実質ボランティア業のような人もいて、ボランティアの意義が分からなくなります。

この国でボランティアなどムダ」(トップページ)という知人の言葉が重くのしかかって来ます。

以下、ネパール山村でのボランティア経験に基いて書いたもので、興味のある方だけお読みください。
複雑な状況を簡略に書いたのでかなり説明不足の部分があります。

特にカーストについては色々な著書で解説されていますが、地域ごと、部族ごとに異なり複雑過ぎて当のネパール人でも他の部族の事は良く分からないそうです。
現地で体験するしか無いようです。

便宜上「ネパールでは」と言う包括的な書き方をしましたが、あくまでも色々な顔を見せる多民族国家ネパールの一面を表現したにすぎないことをご承知の上、参考にしていただければ幸いです。


番外〜「ネパールで今一番必要なボランティアは先生を教えられる先生」は一番下↓です 

項 目  ●日本人と異なる価値観  ●ボランティアに立ちふさがるカーストの壁
賄賂なしでは進まない手続き  ●ボランティアと信仰心
売名ボランティア  ●学校建設の恩恵を受けられないローカーストの子供
商業主義の文化交流ボランティア  ●ボランティアも手が届かないネパールのおしんたち

 日本人と異なるボランティアの価値観 
  ボランティアの動機は色々あると思いますが、日本人の場合は困った人を助けると言う昔の「向う三軒両隣」(例えが古くてすみません)の相互扶助的な社会奉仕の考えが根底にあると思います。

しかし、ネパール人にはカーストや部族を越えて貧しい人や病人を助けるボランティアなど考えも及ばないでしょう。
ネパール人にとって社会奉仕は、成功した人が利益を社会に還元することで宗教上の功徳を積む行為で、感謝はされますが誰が奉仕したのかはそれ程重要ではありません。

  ネパールに学校を建設した日本人ボランティアが、後日現地を訪問したら先生が日本の支援で学校が建てられたことを子供に教えていなかったと怒っていましたが、先生からすればそんなことにこだわる日本人の方が理解できないでしょう。

特に教育と医療に熱心な日本人は学校を建てれば住民から無条件に感謝されると思っているようですが、未だに老人がボランティアの支援食糧を拒否して口減らしに自殺し、病気になったら祈祷師を頼る僻地に生活の足しにならない学校を建てても、喜ぶのは長老会議(村を運営しています)で、関心のない人や迷惑だと思う村人もいるのです。

延命治療を拒否してダイルームで死を待つヒンズー教徒や、古くなった仏像を汚いからと薪にし、代わりに太陽電池のイルミネーション付仏像を有難がる仏教徒等、ネパール人の価値観は日本人と異なります。

忘れられたくなかったら記念碑でも建てて(セコいと思うのも勘違いで欧米のボランティアはよくやります)おくと良いでしょう。
 
 
忘れられないように支援国が中心
の世界地図を壁に描いた小学校






●賄賂なしでは進まない手続き  
  観光ビザや就学ビザでネパールに入国し、個人的にボランティア活動を行うなら行政と係る必要はありませんが、ボランティアとしてビザを取得しSWC(ネパール政府社会福祉評議会)の監督下で活動するには色々な手続きが必要になって来ます。

ところが、この団体は賄賂なしでは至って不親切な団体で、要求を聞けば切りがなく聞かなければ手続きが遅れます。

発展途上国ではこのタイプの下級役人(カーストは上ですが)は珍しくないものの、支援金の一部が賄賂に使われるのはやりきれない気持ちがします。
SWCと係りを持つのは主に資金が豊富な欧米の大きな企業ボランティアで、役人にしてみれば賄賂が取れないような弱小団体や個人などはボランティアではなく、相手にする価値も無いのです。



●売名ボランティア   
補助金を流用した為に完
成しなかったキノコ工場 
遠いネパールでは名誉欲に取りつかれた売名ボランティア団体も見かけますが、中身のある売名ならそれも良いでしょう。
欧米の大きな企業ボランティアは売名による資金集めも賄賂の使い方も上手です。

ボランティア団体がヒマラヤの山村に行って村の有力者に何が必要か尋ねます。
学校を建設し、送迎の車と学用品や体育用品も欲しいと要望はきりがありませんが、それを寄付しても恩恵を受けるのは限定された人々です。

貧しい子供が通えない学校、何時の間にか有料の観光タクシーになっている送迎車、何故かバザールで販売されている学用品等、ボランティア団体の成果として紹介される内容とはかけ離れた現実に直面します。

 
私が参加した団体も規模の大きい有名な団体で、会員として参加していたときには良い活動をしていると信じていたのですが、事務方として参加したところ、名声を維持するために詐欺まがいの資金作りをしている事に気付き、早々に退会しました。

村の有力者の要望に応える事で得た名声を維持する為、日本の補助金を本来の事業に使わず、村の有力者が希望した他の事業に流用し、日本の支援者には補助金事業が如何にも進んでいるような虚偽の活動報告をしていたのです。

無農薬、有機肥料のリンゴ栽培を指導すると聞くと日本なら多くの人が関心を持ち寄付もしますが、全く採算が取れないため見習う農家はなく、出来たリンゴで見てくれの良いものはカトマンズに空輸し、ネパール政府要人や日本大使館、JAICの幹部などに宣伝用に贈られる一方、日本からの援助物資の古着や文房具は有力者に贈っても喜ばれないため、全く配られず現地の倉庫で朽ち果てていました。
 
配られずに朽ち果て
た大量の支援物資




●商業主義の文化交流ボランティア 
  最近、海外でホームステイをしてボランティアや文化交流を行い、併せて観光も楽しもうと言う広告を良く見かけるようになりました。
企業とは思えないような名称で参加者を募集していますが、ボランティアを利用した金儲けというのは違和感があります。
しかし、本格的な海外ボランティアの切っ掛けになるならこれも良い企画ではないかと思います。
 
話題作りにヒマラヤの養魚池に放され
た日本人も食べない錦鯉
(チベット系の人は宗教上の
理由から魚を食べない)

私の所属していた団体も観光会社と組んで随分ボランティア・ツアーをやりました。
ボランティア団体の資金集めと売名を兼ねた完全やらせツアーです。

活動場所のヒマラヤ山村で高級ホテル(温水シャワーがあると言うだけですが)を借り切り、歩いて30分ほどのボランティア農場には付近の村の観光用乗馬を集めてまるで大名行列のように向かいます。
農場見学を兼ねて申し訳程度の農作業のまねごとをしたら、後はボランティアで建設した学校の授業風景見学や付近の観光です。
夜は地元住民との交換会で折り紙を教えたり、お互いの踊りや歌を披露し親睦を深め、最終日に地元スタッフと記念植樹をしてメモリアルは完成です。

別れの時に、地元の人にカタ(幸運を祈る絹の布)を掛けて貰い、感激で涙を流す人もいて参加者は大満足、日本に帰ればボランティアに参加してきたと自慢できますし、事務方はこれで来年も寄付を頂けると一安心、観光会社はツアーで儲かり、地元の村はお土産などの現金収入でボランティア団体に感謝と良い事尽くめです。

  ボランティアをダシに使ったやらせのツアーですが効果は抜群です。
しかし、本当は日本人が来て簡単にボランティアに参加できるような場所ではありません。

  なにしろ、標高2700mの山村には満足な医療施設も無く、JICAの職員すら派遣されない(JICAは病院のない地域には職員を派遣しないそうです)僻地で、慣れない人は高山病で歩くのすら大変です。
ツアーで馬を使うのは歩くと30分の農場にさえ到着出来ない人が出て来るからで、現地の人と同じ農作業をすれば直ぐ倒れてしまいます。

住民との交換会も自発的なものではなく、普段の寄付の見返りに村の有力者に人集めをお願いしたのです。

時折、商業主義の楽しいボランティア経験者からボランティアに参加したいと言う申し込みがありましたが、空気の薄い現地で働けるようになるのに1月〜3月もかかるうえ、風呂も無く、夜は氷点下マイナス10度まで下がるヒマラヤの寒村の生活に耐えられる人はそうはいません。
十分事前に事情をお話し、それでも参加したいならどうぞと言う事になるのですが、3日も我慢できず帰った人も含めて2度来た人の話は聞いたことがありません。

植林されたヒマラヤス
ギは今も成長している

ここに限らず、本当に救いの手が必要な貧しい人々は概ね厳しい環境の中で暮らしている人達で、文化交流や交換会に出て来ることはありません。
ボランティアで文化交流をうたったこの手のツアーに参加される方は、その向こうの真実の姿を是非見て来ていただきたいと思います。
 



●ボランティアに立ちふさがるカーストの壁

ネパールでは、複雑な世襲のカーストを持つヒンズー教徒が人口の約8割を占めています。
インドに比べると結婚など結構融通が利くような気がします(複雑過ぎて説明が難しいのですが)が、それでもボランティアの対象となる貧しい人達はローカーストで多くの制約があり、それが障害となって活動の前に立ち塞がります。

上級カースト(中には理解のある人もいますが)からすれば、前世の徳の結果下層カーストに生まれた人達が、ボランティアの援助で前世の徳を越える豊かさを手に入れる事は宗教上の理念に反します。

 
穢れた衣服を洗う洗濯カースト
(ラジャカ)は下層階級



仕立て屋カースト
(ジュキ)は最下層
彼らにすれば国の発展とは自分たちが先ず豊かになる事で、その結果得た富をローカーストに施すのが上級カーストの勤めなのです。

ボランティアは、ネパールの為にとローカーストを支援するのですが、上流カーストから見れば自分たちが恩恵を受けない活動はネパールの為ではなくローカーストに対する施に過ぎず、外国人が自分の為に徳を積んでいるとしか見えません。

外国人はカーストの外と書いてある旅行本を見たことがありますが、それは間違いです。
ネパールの実権を握る上級カーストの中にはボランティアを明らかに見下す態度が見え隠れする場合が多くあります。

特に、医者や製造業はローカーストの職業なので、医療や農工業の技術支援に行ったボランティアは同列のみられる場合があります。
日本のエンジニアが「率先して現場で指導すると同カーストに見られる」と笑っていました。

国の発展に必要な技術者ですが社会的地位は低く、生産性のない上級カーストが政治を動かしているのでなかなか技術が生かせません。

カースト制は、その弊害が指摘され表向きは法律上差別が否定されていますが、ヒンズー教と表裏一体なので改革は容易ではなく、弊害は中々無くなりませんし
、ヒンズー以外でも昔ながらの差別が残っています
街でローカーストのルール違反者に対する制裁を見たことがありますが、その容赦のなさに差別の根強さを感じました。
 
観光ガイドに載っていない場所を旅すると、世界中の至る所で差別がある事に気付き度々不愉快な思いをします。
特に、インドや中国の様な多民族国家には民族や階級による差別が必ずあるもので、ネパールも決して例外の国ではありません。

観光や文化交流ボランティアは、差別を気付かせないようにプログラムを組んであるようで、業者さんの素晴らしいお膳立てで楽しい思いでだけを持って帰ってきた人達は幸せですし、ネパールまで行った意欲に敬意を表します。
でも、それが本当の姿だとは思わないでください、と言ってもネパールには姿が沢山ありすぎて真実の姿が分かりませんがの方が、
本当に貧しい最下層カーストに手を差し伸べるボランティアなら、差別でかなり不愉快な思いをすることを覚悟しなければなりません。

ネパールで最も必要なボランティアは、差別が当然とする
時代遅れの上級カーストの意識改革活動(多分無理です)かも知れません。



●ボランティアと信仰心
  年末の旅番組の女優さんは、ネパール人は貧しいから信心深い等と見当違いの事を言っていましたが、日本人の多くが信仰に関心がないだけで、一応先進国と言われる欧米でも、選挙で候補者の宗教観が争点になることは珍しく無く、信仰と貧しさを関連付けて考えること自体、宗教に対する理解が欠けています。

こんな宗教に鈍感な日本人がうっかり宗教上の禁忌に触れた場合、ボランティアだからと大目に見てくれると期待してはいけません。
笑顔でお金を受け取りながら無神経な外国人を罵るネパール人の声を何回も聞きました。
少なくとも信仰心を尊重できない人はネパールでのボランティア活動には向きません。


  ところが現実には、牛革の靴を履いて施設から追い出されたり、道端のお供え物をうっかり蹴散らして抗議されたりと日本人の無神経さに情けなくなります。

ネパール人から信仰を尋ねられることがよくありますが、これはお互いの信仰を尊重するネパール人の心遣いです。
例えば、ヒンズー教も仏教も一部の宗派を除けば敬遠な信者は殆どベジタリアンですので、間違って食べられないものを料理の中に入れて食べさせたりすると、その人は長年積み上げた功徳を失う事になり、謝る位ではとても申し訳が立ちません。

この意識は今の日本人には恐らく理解できないと思います。

ネパールでは、異教徒であっても信仰心の篤い人は戒律を守る自制心の強い人としてそれなりに尊重
(但し、インドと同じく仏教徒をローカーストと見做し差別する人もいる)され、反対に信仰心の薄い人は戒律を守れない心の弱い人として軽く見られます.

 
異教徒は入れない
ヒンズー教寺院

  しかし、無神論者となると全く受け止め方が違います。

自由な日本では無神論も選択の一つにすぎませんが、国民の8割が生まれながらにヒンズー教徒のうえ、熱心な仏教徒も多いネパールでは信仰と人格が云わば一つとして見られますので、信仰を持たない無神論者は倫理の基準を持たない変態と見做され決して信用されないのです。

日本人の感覚では「私は神を信じないが、あなたが神を信じるのは自由です。だからお互い仲良くやりましょう」と言う事になりますが、ネパール人にすれば、「私が信じている神はいないと侮辱しておきながら仲良くやろうなどと言う馬鹿な日本人」と言う事になります。

雨の中五体投地で
寺院を回る仏教徒

宗教に鈍感な日本人の勝手な理論はネパール(実はネパールだけではないのですが)では通用しません。
ネパールで敢えて無神論を唱え、軽蔑までされてボランティアなどやる意義は無いと思います。

観光ツアーでさえ宗教施設を訪問するなら、最低限の敬意を払うのは礼儀だと思いますが、
格好がいいから(意味分かりませんが)と言ってキリスト教徒でもないのに首にクルスを掛け、まるでコールガールの様な恰好をして寺院で軽蔑のまなざしを受けている恥知らずの日本人が居て、しばしば肩身の狭い想いをします。

どこの国でも愚かな人はいるので観光ならそう問題になることは無いでしょうが、ボランティアには絶対参加してもらいたくないものです。

その点、堂々とキリスト教を前面に出す欧米ボランティアの方が尊重されています。
  ボランティアの為に信仰心を持つと言うのは筋違いですが、相手の信仰を尊重する謙虚さはボランティアに絶対必要です。



●学校建設の恩恵を受けられないロー・カーストの子供  
工事現場で見かけた中学生位の少年
朝6時頃から夕方暗くなるまで働く



小さな体で背負えるだけ背負う(運賃
は重さ払い)子供(10才位)ポーター

 
貧困に負けず一生懸命勉強する子供を撮りに来たと言う写真家にアンナプルナの山村で出会いましたが、貧しい子供がいないとがっかりしていました。
田舎は貧しいだろうと思うのはいかにも日本人らしい発想(もっと山奥に行くと子供の働き口がないので家で邪魔になる貧しい子供が来ていることがありますが)ですが、田舎でも都市部でも本当に貧しいローカーストの子供達は殆ど学校に来ません。

貧困からの脱出は教育からと、多くのボランティア団体がネパールの学校建設を支援しましたが、学校さえ建設すれば子供が来て問題が解決するというのは日本人の思い込みで、最下層の貧困家庭の子供達には支援の手が届かないのが現状です。

公立小学校は無料なので公立学校なら入学するローカーストの子供もいますが、体が大きくなると家計を助ける為学校を辞めさせられ働かされので卒業できる子はいません。

しかし、子供が来ない根本的な原因は、書くのも嫌なのですがカーストによる差別です。
不可触民(触ってはいけないローカースト)の子供は差別されいじめられますので、それに耐えてまで学校に通う子は殆どいません。

日本人の感覚からすれば言語道断の話ですが、例え彼らが教育を受けたとしてもカーストの枠から抜け出ることは非常に難しいのです。

火葬場で死者の装飾品をあ
さる最下層カーストの子供

カーストで職業が制限される実態は、部族別の職業割合を見れば一目瞭然で、政府の上級職は特定の部族に偏っています。
今流行のIT産業やメディア関係はカーストがありませんが、学歴社会のネパールでは大卒でなければ採用されないのでローカーストで成功することは不可能です。

ネパールのテレビに出演する歌手や俳優が皆年寄り(失礼ですが日本に比べればという意味です)なのは、大卒でなければ採用されないためで、AKBやジャニーズ系がネパールのメディアに出てくるようになれば、カーストに風穴が開くかもしれません。

悲しいことに将来を悲観して自殺する若者は圧倒的にローカーストが多いと聞きました。

教育の前にもカーストの厚い壁があります。
 



●学校に行けないネパールのおしん   


日本のテレビ・ドラマ「おしん」はネパールでもそのまま通じますが、ネパールには似た境遇の「カムラリ」と呼ばれるおしんが沢山います。

トレッキングで山村に行くと、ロッジや商店で学校にも行かず朝から晩まで働くネパールのおしんたちに出会いますが、この少年、少女たちの境遇は日本の物語より厳しいかもしれません。

彼らの多くは貧しくて親が育てられない子供か孤児で、ロッジ等のオーナーが僅かな金銭で引取り、衣食を提供する代わりに無給の従業員として働かせているのです。
いわゆる奴隷労働者なのですが、間引きの習慣が未だに残り、まして孤児院など無い山間部ではそれなりに子供たちの命を守っているのかもしれません。

しかし、学校に行かせてもらない為、読み書きはもちろん簡単な計算もできない子供も珍しくありません。
ボランティアがいくら学校を建設し、地元の小学校に文房具を寄付してもオーナーが彼らを学校に行かせる事は無く、おしん達がボランティアの恩恵を受けることはありません。

ネパールのおしんちゃん
13才のロッジ従業員
笑顔のカムラリは
珍しい
毎朝学校に行く同年代の子供たちの背中を見ながら、手の空いた僅かな時間にノートを広げ勉強する姿に心打たれ随分文房具等を贈りましたが、その様な境遇の子供たちがどれほどいるのか想像も付かず、個人では運べる荷物も僅かです。

行政から見放され、ボランティアの手も届かない子供達に幸多かれと祈るのみですが、
もし皆さんが現地でこの様な子供達が勉強しているところ(勉強が嫌いな子も当然います)を見かけたら、是非文房具等(現金は不可)を支援して下さい。
但し、このような
子供たちを援助する場合は決して直接、品物を手渡たさないでください。
隠れて子供に渡すことも厳禁です。

子供達には一切所有権がなく、渡したものは全てオーナーが取り上げてしまいます。

必ずオーナーに話を通さないと
品物は子供たちに渡りません(現金はほぼオーナーの収入になります)し、下手な渡し方をすると子供が怒られる場合があります。
彼(彼女)らはやがて年季が開けて巣立って行きますが、独り立ちには厳しいカースト社会が待っています。
  これは参考ですが、あなたがトレッキングでロッジを選ぶ時、そこで働く子供の表情を見るとロッジの良し悪しが一目で分かります。
子供の表情が明るければ、そのロッジのオーナーは間違いなく善人です。 



19年間ネパールのボランティアに係ってきましたが、急激に進む近代化の前に支援者の熱い思いで建てた学校が次々と廃校になるなど、ボランティアの意義が分からなくなってきます。
それでも貧しくても明るい子供たちの笑顔を見ると、何かしないではいられない気持ちになります。
この子供たちの可能性を信じています。


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番外↓ ネパールで今一番必要なボランティアは先生を教えられる先生 

今ネパールは空前の教育ブームで、国中に私立イングリッシュスクールが乱立し先生が足りません。
公立学校は先生を私立に引き抜かれ開店休業状態で、どちらも先生を育ててくれる先生が必要と言います。

何故、こんな状況になったのでしょう。

経済発展で少し余裕の出来た人達が、子供をイングリッシュスクールに入学させるからです。
何故、公立学校に入れずに私立のイングリッシュスクールなのか?

社会保障制度の弱いネパールでは、老後の生活は子供次第で、長男を特別大切にするのは昔の日本と同じです。
その子供が、英語が出来るかどうかで将来が大きく左右されるのです。

ネパールでは英語が話せる事が、社会的に成功する条件だからです。
もちろん、英語が話せたからと言ってカーストが上がる訳ではないのですが、社会的なチャンスは広がります。

10年位前までは英語が話せるのは学校を出た上級カーストか旅行関係者だけで国民の20%位(統計は当になりませんが)と言われていました。
最も、旅行業者の多くは聞いて覚えた英語で、読み書きができない人も結構いました。

勿論公用語はネパール語ですが、多民族国家のネパールでは実は
ネパール語を話せない人も多く、公務員は英語が中心ですし、事業活動も大きくなれば英語でコミニケーションを取ります。
つまり、英語が出来なければ社会的に認められる立場にはなれないので、子供の将来の為に親は無理をしても子供をイングリッシュスクールに入れるのです。


もしかするとこの英語世代が、カーストの壁をある程度崩すかもしれません。
しかし、相変わらず学校行けない
ローカーストの子供との教育格差は逆に広がる一方です。

おまけに英語を覚えた子供達は、いかにも子供らしい感覚で英語が話せない大人をバカにします。

外国人に盛んに話しかけてくる好奇心の強い子供が多いのですが、英語が話せない観光客を下級カーストと同じと見て馬鹿にするのです。

ネパール語で話しかけると嬉しそうにネパール語で応える大人に対し、ネパール語を避けるように英語で応える若者や子供達からは母国語を尊重する気持ちが伺われません。
おまけに最近はインドの影響で急速にヒンズー化しています。

多民族で魅力あふれるネパールの文化が失われる事にならないよう願っています。